the 2nd story
大切に包まれる娘に与えられるのは、自らに関する秘め事。
――厳重に守られた箱庭の娘自身が知らないそれは、やはり娘の預かり知らぬ場所で暴かれる。
セブリナ皇国は、5つの伯爵領とセブリナ王領ラデスとに分かれる北の小国だ。
大陸の最北端に位置するこの国の主産業は漁業と農業、国土の中央を走る山脈から採れる玉の加工。
豊富な海の資源とイモ類、トウモロコシ、小麦を生産する肥沃な大地。典型的な農業国である。
伯爵は王家に忠誠を近い、それぞれ領地の徴税権と立法権を得る。
王の支配は比較的緩やかで、国の運営は伝統的に王と5伯爵、それに諮問機関が共同で行っていた。
王は旧い神の代行人であるとされる。その定義は
所詮『人』――神聖視されることこそないが、それゆえ国を統べる第一人者となっている。
北と西は海に、南をルピアとアルメニ、西は大河を挟んでタルダに囲まれている。
取り巻く国はいずれもセブリナと大差ない勢力の小国。
現在は外交努力によって一応の平和が保たれているが、10年ほど前までは国境の小競り合いが絶えなかった。
特に南のルピアとは休戦協定がかろうじて結ばれた12年前までは、
とても小競り合いとは呼べない…『戦闘』を繰り返してきた。
この国の、そしてルピアの民はその経験を良く覚えている。
中年の男性なら戦場帰りも珍しくない。
長い戦の末、ようやく得た平穏。有り体に言えば、つまりそう言うこと。
キュリオロッテ領はセブリナ皇国の最も南方に位置している。
先のルピアとの戦いでは最前線として他のどの領よりも激しい戦闘を体験した。
現在、隣国との関係が平和路線で繋がれているのはキュリオロッテ伯爵の尽力が大きいと、誇らしげに領民は言う。
昼過ぎから振り出した雪は深夜には降り積もり、世界を銀に染め抜いていた。
しん、と音を奪う白い粒は途切れることない。
多忙を極めるロデ=シリア・キュリオロッテが帰宅したのは日付も変わろうかという頃だった。
与えられた客室でその知らせを受けたアディエラは深く眉を寄せる。私室を訪ねるには常識はずれな時間。
しかし、それは却って好都合かもしれない。それに早い方が良い。
時間を置けば、それだけ切り出し難くなる予感がした。
「アディエラがお会いしたいと言っている、そうお義兄様に伝えて」
客室付きの侍女にロデに言付けをするよう言って下がらせ、
アディエラは落ち着いた赤色の、柔らかなソファから腰を上げた。
その真面目な性分がロデの良いところではあるが、聊か行過ぎなのではないだろうか。
少なくとも、周りはその心配をしている。頬に手を当てれば、憂えた溜息が落ちた。
背の低い机を挟み、ロデは安楽椅子にアディエラは1人掛けのソファに座った。
燃える暖炉の色に互いの顔が赤く映える。
手元に置かれたグラスの中で、炎が踊っていた。
「久しいな」
短い沈黙を挟み、ロデは親しみを覚える笑顔を浮かべた。
4年――たった4年の間に彼は10も歳を取った様に見える。
目元の皺と、随分白みの増えた髪。以前にはなかった髭が余計に彼を年嵩にしている。
…ユイリエスの祖父、とそう紹介された方が違和感がないかもしれない。
「えぇ。4年振り、ですね」
「――そんなに、経つか……」
ふと、遠くを見る様に目を眇めるロデ。
語尾が微かに震えたことに、アディエラは気付かない訳にはいかなかった。
4年間、彼女がここに寄り付かなかったことと無関係ではなかったから。
それだけ、必要だった。姉のルディエス――その死を認めるために。
誰にも非はないことは理解していても、辛さが先に立って。
同じ様にユイリエスやロデも辛い筈だと想像しながらも。
今度は重い沈黙が部屋を支配する。
白い粒が散り落ちる様を永遠と映す窓の外を見るともなしに眺めながらしばらく迷った末、
アディエラは口にしやすい方の話題を選んだ。
「お義兄様――今日、わたくしがこちらに参りましたのは…」
その名を口にしようとするだけで、自然と笑みが浮かぶ自分を自覚する。
相当に叔母バカと思いつつも、こればかりは仕方ない。
「ユイリエスのことか?」
アディエラの表情から話題を読み取ったのだろう。
ロデも苦笑とも微笑みともつかない表情で応じる。
「はい。今日、会いましたが、随分大きくなりましたね」
「あぁ――健やかに育ってくれている。これ以上は望めない程に」
そう言って、子煩悩な父親らしく頬を緩めた。
キュリオロッテ伯爵が一人娘を殊更可愛がっているのは、領内中に知れ渡っている。
アディエラは小さく笑って。それから表情を引き締め、
「それで、彼女の髪、は…」
「相変わらずだ。定期的に染めさせてはいるが、生えてくる髪は淡い黄色だな」
実に憂鬱そうに、或いは忌まわしきものですらある様に、彼はその色を口にした。
闇の様な黒髪――若い頃は、の話だが――と黒眼のロデオ。
アディエラと同じチョコレート色の髪と濃い灰の瞳を持つルディエス。
娘は父譲りの黒い瞳と、何故か輝きの足りない金の様な薄いレモンイエローの髪で生まれた。
それ自体、不思議なことだが――。
ルディエスは別の心配をした。
それ故生まれてすぐ、ユイリエスの髪を茶に染めることを提案し、ロデもそれに賛同した。
『金銀に近い髪色は珍しい、珍しいだけでなくある才能を持つ者の証である。
――つまり、魔術師としての能力を』
力を持っていることが必ずしも良いとは限らない。
まして自らの意思で物事が選べない子どもとなれば尚更。
大体、魔術師の絶対数は少なく、その実態を知る者もまた、少ない。大陸中央部の大国ならともかく、
片田舎と表現できる様なこの国では魔術師と御伽噺の魔女の区別すらつかない者がほとんどだ。
言われなき迫害を受けるかも知れず、また力を利用しようとする愚者が現れるかもしれない。
そして過ぎた力が王の不信を買う危険性や、他諸侯からの反感を招く可能性。
ルディエスとロデはユイリエスの髪を人目に晒さない方が無難だと判断した。
「今のところ、そのような前兆は見えないが」
膝の上で組んだ指先に視線を落としながら、ロデの声は沈んでいる。
娘の将来を憂えているのかもしれない。
未熟な魔術師が、魔力を暴発させる事例もなくはない。
その最悪のケースは、死。魔力は制御できなければ、それ自体が危険極まりない力なのだ。
「…けれど、もう10歳です。彼女は自分の力を自覚しなければなりません」
「まだ早いのではないか?」
逡巡。先延ばしにしたいロデの気持ちも痛い程分かるけれど、
「わたくしはそうは思いません」
きっぱりと告げる。途端、額に深い皺が一本増えして、半ば睨み付ける様な視線を送られた。
数少ない魔力を持つ者――それが決して領主に向く素質ではなく、
むしろ邪魔になる可能性が高い。聡明なロデは察している、だろう。
アディエラはそう感じて一度口を閉ざした。
それは、あるいは、彼が唯一の後継者を無くすことを意味するのだから。
「…方法は?」
だから、是とも非とも言わず、曖昧に先を問う姿勢を責めることはできない。
「わたくしが連れてまいりました…タナシア・ユーゲンに任せたいと思います。
彼女は優れた魔術師ですし、神殿守としての実績もあります」
神殿守とは言葉の通り、神殿を守る者の総称だ。
神殿に仕える者の内、神官や神子の様に『聖務』をこなす者以外を指す。
武力を以って神殿の警護を担当する者、他にも神殿内の掃除や調理を担当する者、
聖具を作って納める者などに別れている。
タナシアはロンダル神殿警護担当の頭だった。アディエラとの付き合いは10年近くになる。
言葉を切って視線を向けた先、ロデの表情は硬く強張ったまま、変わらない。
「――何より、わたくしは彼女を信頼しております」
タナシアを連れてきたのは、少々無理を通してでもユイリエスに教育を施すことをロデに認めさせるため。
案の定、アディエラの用意周到ぶりに彼は顔を顰める。
が、結局それについては何も言わなかった。
ただ組んだ両手を額に当てて深く俯く。長く深い息がその唇から漏れた。
「お義兄様。いつまでも、秘めてはいられないのです」
背まで縮んだ様に見えるその肩に声を降らせ、アディエラもまた苦い息を吐いた。
「そう…か」
小さな声はアディエラに聞かすためと言うよりは、自らに言い聞かせる様に床に落ちた。
暖炉の炎が動く者のない部屋に虚しく揺れる。
机に置かれたグラスに手を伸ばす。喉を焼くような強いアルコールを流し込み、
「ならば頼もう。タナシア殿に」
ロデはアディエラの娘と同じ、黒い瞳を向けた。
得体の知れない不安が飲みきれない酒の様に胸を焼いた。
01.はじめまして
12.罰