the 1st story

□はじめまして□


 ――集中、する。
 自身が遠ざかる感覚。
 無意識的に何事かを呟く口元。
 ざわ、と風ならぬ空気の流れが肌を撫でる。

 そして現れる、アカ色。
 踊る炎か、降り注ぐ血か、翻る髪の色か――いずれにせよ、それらの帰結していく先の想い出は1つ。

 それはある冬の始まりを伴ってやって来た。
 毎年の様に退屈で平凡な、そんな長い冬になる筈の、その最初の日。
 …多分、あれがはじまりだったのだ。




−−ー−−−−−−−−−−−−−−




 セブリナ皇国最南部。
 セブリナ王家が統制する小さな公国は真白に包まれる季節を迎えようとしていた。
 大陸北部の冬は厳しい。
 空には黒雲が垂れ込め、それが大地を押しつぶすのではないかと思われる程。 この様子では、早々に雪が降り出すだろう。
 とうに枝の緑は落ちた。全てが凍る、気鬱な冬の始まりだ。

 …生まれ育った、慣れ親しんだとさえ言える気候ですら今の彼女にとっては気分を下降させる材料にしかならない。

 長い廊下歩きながらつらつらと窓の向こうを見上げていたアディエラ・ダィナルミ=ロンダルは 重々しい息を吐いて立ち止まった。
 横を歩いていた連れが苦笑する気配。
 仕方ないでしょう、と溜息に乗せて言おうとして。
「叔母様ッ」
 ととと…と軽い足音が背後から駆けて来た。

 心当たりは1つしかない。アディエラは振り返って微笑みながら、幼い姪の名を呼んだ。
「ユイリエス」
 花の様な笑顔を撒き散らしているユイリエスは、確かもう10歳になっているはずだ。 この年頃の平均的身長を随分下回ってはいても、記憶の中の彼女よりも随分背が伸びている。
 大きな黒曜石の瞳。その輝きは変わらないが、 そのまま流しただけの茶褐色の髪は背の半ばまで伸びてふわふわと踊っていた。

 順調に距離を縮めたユイリエスは最後の5歩を跳ねる様にして駆けた。
 彼女にしてみれば屈んだアディエラの首に抱きつく用意万全だったのだろう。 アディエラの方もユイリエスの身長に会わせて膝を床につける。しっかりその気である。

 それなのに何故か急ブレーキなんてかけるから。
「…ぁ!」
 止まる代わりにバランスを崩し、べちん、と痛そうな音と喉から漏れた声を同時に出して ユイリエスはアディエラより先に床と挨拶をすることになった。
「大丈夫!?」
 目の前で盛大にこけられたアディエラは慌ててユイリエス助け起こそうと手を差し出す。
 しかし上手く両腕で顔を守ったユイリエスは、右腕をさすりながら自分で顔を上げた。 バツが悪そうに視線を逸らし、服の埃を軽く叩いて落とす。

 宙に浮いた右腕が物悲しい。
 以前なら確実に抱きついてきたかわいい姪の不可思議な態度に、覚える寂しさ。
 それなのに肝心の姪は彼女の横で静かに笑みを湛えた人物を見上げたまま、叔母を見ようとしない。

「…どうしました?」
 これが成長と言うものかしら。女の子の成長は早いわ。 予定ではこの冬の間に、一緒に色々して遊ぼうと山程ゲームやら新しい服やらを持ってきたのに …もしかしてユイリエスは相手してくれないのではないかしら!?
 アディエラの加速ジェットを付けた思考はぐるんぐるんと回転している。
 がしかし、そんな叔母の心姪知らず。
「叔母様、この方は?」
 やけに冷静な姪と微笑むばかりの連れの間で1人拗ねている訳にもいかず、 不承不承立ち上がることになったアディエラだった。

「こちらはタナシア・ユーゲン、わたくしの友人よ。
 暫くの間、わたくしとこちらに滞在することになりました。
 タナシア、この子が私の姪のユイリエス・シリア=キュリオロッテ。
 キュリオロッテ伯爵の一人娘です」
 『こちらに滞在』に力を込めたのはそれで喜んで欲しかった為だったが、姪はそれには全く気付かなかった様で。
 後半の口調がほんの少し乱暴だったのはこの際ご愛嬌だ。

「ユイリエス殿。はじめまして。」
「――……」
 柔らな仕草で優雅に腰を折る女性の、その完璧な挨拶にユイリエスは答えず、 やはりじっとタナシアを見つめた。

 20台の後半に見えるが、アディエラの友人なのだから30を越えているかもしれない。
 瞳は薄い茶色。腰まで伸び、緩く編まれた髪は紅。少しばかり線の丸い頬に柔和、としか表現できない微笑。
 瞳よりは少し濃い簡素な茶色の服が良く似合う、可愛らしい印象の淑女だが ――並び立つ、ロンダルの輝花とまで称えられた叔母に比べれば――特に優れた容姿ではない。
 名前が2つしかないのだから身分は平民だろう。
 自らの名と家族名に加えて、王ならば直轄地名と国名とで4つの名、 貴族は領地名、聖職者ならば仕える神殿の名を合わせて3つの名を持つのが一般的だから。
 ユイリエスはキュリオロッテ家の娘という意味で3つの名を、 アディエラは王の直轄地ラデスに程近いロンダル神殿の神子なので同じく3つ名を持っている。

 何故、とユイリエスは自問する。人見知りする気質ではない――それでも何故か、酷く緊張する。
 それは予感の様に。
「ユイリエス?」
 訝しげな叔母の声で我に還ったユイリエスは、自分が不躾なほどにタナシアを凝視していたことにようやく気付いた。
 初対面の、それも叔母の友人になんてことを、と一気に赤くなるユイリエス。 伯爵の娘として常に礼儀正しくあれ、と父親が繰り返した言葉が蘇る。
 しばしどうしようかと狼狽し…結局、挨拶だけを告げるとユイリエスは逃げるようにその場を去っていった。
 あぁ足が速くなったわね、というのがアディエラの感想だった。

「アナシア。子どもなんてすぐ成長してしまうのね…」
「今のどこら辺にそれを感じたのか、私には分かんないけど」
「あぁ!わたくしのかわいいユーリがっ」
「…貴女、性格変わってない?それから1つ言い忘れがあるわよ」
「え?」
「私が彼女の先生になる、ってこと」



 ――天から白い花が一片舞い落ちた。
 始まりを憂えるかの様に。



02.秘めごと