前編

それはたったひとつ残った大切な願い事。


□ONLY ONE WISH□



SIDE 悠香

 あたしは悠香。くりくりした茶色っぽい眼が自慢の、この家の長女…とも言うべき存在。


 今日も今日とて、朝っぱらから騒がしい…。
 「定位置」であるリビングのふかふかソファの上で、あたしはぼんやりとそんなことを思っていた。

 目の前にある食卓では、おいしそうな朝食が湯気を上げている。
 ウチはリビングがキッチンとつながってるっていう構造上、リビングのテーブルが食卓も兼ねてるんだ。


 ふむふむ。
 今朝のメニューはこんがり焼いた食パン(母さん自慢のイチゴジャムつき)と野菜サラダ、 コーンスープ、目玉焼き、フルーツ…典型的コンチネンタルブレックファストってやつだ。
 …母さんの好みだな、これは。
 西洋かぶれってゆーか、とにかくアメリカっぽいものやヨーロッパっぽいものが大好きなんだ。
 …白米と納豆をこよなく愛する父さんと、何で結婚したのか、ものすごい謎だ。



 んで、その母さんはというと台所で寝坊したと慌てながら子供達のお弁当を詰め込んでいる。
 ――全くご苦労様なコトだわ。
 毎日毎日ソウジ・センタク・食事ノヨウイ。同じコトばかりがぐるぐる廻る一生。
 …これが「母親」ならあたし、絶対にならないっ。
 ――時期がきて、イイ男がいたなら結婚くらいは考えないでもないけどさ。

 それはともかくとして、今日もキレイな食卓でおいしい食事が食べられるんだから感謝もひとしおね
 …実際問題、米だろうが食パンだろうがあたしにはあんまり関係ないし。
 自分で料理のひとつもできないあたしとしては、
 出されたものを文句言わずに食べる、以外の選択肢はないもの。



 ――あ、勇太。

 おいしそうな食事の匂いに鼻をひくつかせていると、
 リビングへの扉を押し開けて我が家の長男君が姿を見せた。

 短く刈り込んだ黒髪と男の子にしては大きな黒眼がちの瞳、
 手には黒いランドセル、半ズボンから覗く足と右側の頬にはおっきなバンドエイド。
 最近ケガが多くて心配だわ…。
 男の子にはそれぐらいでいいのかもしれないけど。
 身内としては…心配よね?
 やっぱり喧嘩でもしてるのかな…最近生意気になってきたし。
 12歳って年齢を考えると「反抗期」ってやつだろうと思う。
 「誰でも通る道だもの、しょうがないわ」とは母さんの弁
 …あたしもひどかったんだって…あんまり覚えてないけどねっ。


「・・・・オハヨ・・・」

 寝癖であちこちにはねた髪をいっちょまえに気にしながら、
 勇太はあたしにそうあいさつしてきた。
 あら、今朝は機嫌いいのね。
 自分からあいさつするなんて…うん、可愛いじゃないの。
 やっぱりお姉様のあたしが…



 ぴんっ



 ―――――――〜前言、撤回。コイツ、超生意気。
 軽い、小気味のいい音と供に、
 勇太改めヤツ―勇太なんて「ヤツ」で十分だ―のデコピンが、あたしの額に突き刺さった。
 あ〜痛い。せっかくあいさつ返してやろうと思ったのに!!

 そんな態度だと、
『クラスに気になる女の子がいて、でも顔見るたびにいじめちゃうんだどーしよー』
 なんて可愛らしい悩み事抱えてること、皆にばらしちゃうぞっ。
 思い切りしかめたあたしの顔が余程おもしろかったのか、
 くっくっと笑いながらヤツはいってしまった。
 レディを前に、失礼な。



 憤慨やるせないあたしが次に見たのは、父さんだった。
 パジャマのまま、ぬぼーっと現れた父さん。

 その様子じゃきのうも午前様だったんだね。
 父さんは週に3・4回夜半を回っても帰ってこない日があるんだ。
 …まさか、浮気!?―――ないない。
 あたしは即座に自分の思いつきを打ち消した。
 ウチの父さんにそんな甲斐性はないっ。…じゃなくてそんな度胸はないっ。

 …なんかきっぱり言いきられてるところが哀しいぞ、父さん。

 仕事忙しいんだね、と思っておくことにしよう。
 この問題は深く追求するとますます空しくなるような気がする。
 そんなことを思っていたら、視線に気付いたのか父さんはふと、あたしに目を留めた。
 それから頭をひとなでして、行ってしまう。
 いつまで経っても子ども扱いするんだから!!
 15歳の乙女にそんなことするなんて、セクハラだセクハラ。
 今の世の中訴えられても文句言えないんだよっ!?

 でもあたしはその後姿を黙って見送る。
 少しなで肩気味の肩、後ろから見てもそれと分かるビール腹、ちょっと寂しくなってきた頭、どことなく哀愁漂う背中
 ―――…どっからどう見てもヲヤヂだわこりゃ。
 なんか、ついついエールのひとつでも送ってあげちゃいたくなるのよね…。
 ホントに、頑張ってよね父さん。
 決して良いとは言えない経済状況である我が家。
 母さんは完全に主婦だし、働いているのは父さんだけ。
 家族を支えるのも大変だろうなって思うけど…あたしにはこれしか言えない。

 頑張ってね。




 などど物思いにふけっていると、
 台風のように大きな音を立てながら人影が走りこんできた。
「外見た?外っ」

 それは、あたしと同じ茶色っぽい眼を持つ女の子。

 歳は15であたしと同じ。あたしの半身――双子よりもなお近しい存在。
 チャームポイントのロングヘアーは緩く巻いていて、色白の肌に良く映える。
 中三ではあるけれど、「可愛い」を通りこして「美人」というカテゴリーに入れてしまっても問題ないだろう。
 …ただし、黙って立っていれば、という条件付で。

「すっごいきれいな虹が出てるんだよ。母さん、見てよ〜!!」
「それよりご飯食べて。遅刻するわよ」
「だって虹だよ。こう…見てるとほんわか幸せで胸もお腹も一杯になるってゆーか」
「……いいから食べなさい」
「それに虹といえば忘れちゃいけないのが、根元にある宝物よね?
 何があるんだろう…きっととんでもなく幸せになれるものよね」
「……だから」
「それに虹って願いをかなえてくれそうな気がするしっ」
「………悠里…」

 母さんは悠里に何か言うのをあきらめたようだった。
 キッチンから聞こえてきた声は途切れてしまう。
 悠里はもともと母さんの言うことなんて何一つ聞いてなかったんだろう。
 開け放したリビングの窓から外をぼんやりと見やってはにまにましている。
 時折「幸せかぁ〜」なんてつぶやいてる姿は
 ―――はっきり言って不気味だよ、悠里。


 あたしはため息をついた。毎度のコトながらこの子はもう…。
 どっか抜けてるというか何というか…。
 このせいで学校でもけっこう可愛い「けど変人」って言う、ありがたくないレッテルを貼られていることに、 本人は気付いているのだろうか。
 …気付いてないだろうな〜なんたって悠里だし。


 あぁ、真剣にこの子の将来が心配だわ。
 絶っ対、どっかでだまされてそうなんだもん。
 だまされても気にしてなさそうなトコがさらに心配…。





 「定位置」であるリビングのふかふかソファの上で、あたしがこんなようなことをぼんやりと思ってるのは、 別に珍しいことじゃない。

 そんなに自由な生活を送ってきた訳じゃない。
 それなりの義務は負ってる。
 望むと望まずにかかわらず、ね。
 現にあたしの目下最大の目標は、
 たらふく食べて、
 好きなだけ寝て、
 思うように遊ぶこと。
 簡単そうに見えて、とてつもなく難しいんだこれがまた。


 でも、父さんや母さん、勇太、悠里よりは若干余裕のある生活を送ってきたかなって思う。
 所詮こんなもの主観的なものだから、そんなふうに感じるのはあたしだけかもしれないけど。
 …常識と照らし合わせて考えれば、まぁ、そういうことになるかな。
 だからいろんなことを思ってきた。
 少しだけある余裕を使って。




 ―――――さて、そろそろいかなきゃ。
 いつまでものんびりしてられない。




 あ、そうそう。ひとつ忘れてた。

 願わくば、皆が「幸せ」でありますように。
 悠里じゃないけどあまりにいいタイミングで虹がでたから、
 願掛けするのもいいかもしれない。
 間違いなくあたしのキャラじゃないけど、たまにはいいでしょ?


 たくさん考えた中で、結局残ったのはこれだけだったから。



 …それは、たったひとつ残った大切な願い事。



後編