カゼイル――辺境に位置する、街道沿いの町。
大きさからいえば、『街』と表現しても差し支えないだろう。
整えられた町並みと美しい自然を併せ持つそこは、
辺境を旅する者たちにとっては休養をとるために、又装備をそろえるために不可欠な町だ。
そのため多くの旅人がそこを訪れる。そこに住む住民の気性も一役買って町には常に人があふれていた。
そのガゼイルの裏通り。様々な店やレンガ造りの宿屋が軒を連ね、
真白く塗られた噴水が設置された広場のあるメインストリートとはかなり赴きの違うその道を歩く、1つの人影。
やや汚れた茶色のコートを着込み、同じ色のバンダナで頭のほとんどを覆っている。
丈の長いコートからのぞく足元にはごつい造りのブーツ。
背負ったリュックは使い古していくらかくたびれているようだ。
その旅人然とした出で立ちにすれちがった住民は一様に怪訝そうな顔をした。
この街に来た旅人がたまたま通りかかるには、そこはメインストリートから外れていたためだ。
しかし、彼らもすぐに興味を無くす。
その人影はごみごみとしていて分かりずらい
――おまけにどことなく薄暗い――通りであるにもかかわらず、迷いのない足取りで進んでいたし、
不埒な風来坊にしては小さく華奢で、おまけにかわいらしかった。
遠くから親戚を訪ねてきたか何かだろう――そう結論付けるとそれ以上詮索することなかった。
関係ないことには首をつっこまない…辺境では誰もが知るルールだ。
人間の天敵とまで言われた、『魔物』は100年ほど前から居ない。
絶滅したとも、密かに隠れているともいわれているが、ほとんどの人間にとってその脅威は去っていた。
それでもなお残る苛酷な環境、危険な動植物。
町の中に住んでいても危険はまとわりついてくる。
頑強な壁を作ろうとも、日が暮れた後には固く門を締めようとも、安全は保障されない。
街道沿いにある町故に、彼らはよそ者にあまり警戒心を抱かないが、
一方で自分は自分で守るしかなく、他人を気にかける余裕がないことだってある、という事実もまた分かっている。
一見美しく見えても大陸の端に位置するここは、確かに『辺境』であった。
悠然と歩を進める人影を見送って、彼らは自らの日常に戻っていく。
『CLOSED』と書かれた小さな板切れがかかった、古ぼけた扉。
何の飾りもない、質素なそれを押して、人影は中に入っていった。きぃ、とかすかな音が耳朶を打つ。
ぷん、と酒臭さが漂う。
すでに店内のそこかしこに染みこんでいるそれが、店自体がかなり古いことを示しているようだ。
正午になるかならないか、という時間にしては妙に暗い。ふと、見ると窓にはすべてカーテンがかかっていた。
かろうじて灯りなしでも店内が見渡せる程度の明るさしかない。
扉と同じく、使い込まれたテーブルがいくつか。いすとカウンター。
その奥に並ぶ大量の酒瓶と様々な形をしたグラス。
ついでに、カウンターにはあつらえた様なマスター――だろう。白いシャツに黒いエプロンを身につけた、
やたらと目の細い中年の男だ――がちょこん、と立っている。…どこの町にでも1つはあるような、ただのバー。
ただ1つ奇妙なことといえば、『CLOSED』の札がはっきり扉にかかっているにもかかわらず客らしい人間
が店内にいることだろうか。
「いらっしゃいませ」
その人影にゆったりと声をかけるマスター。
その声にも顔色にも微塵も感情を出さなかったが、実は、彼はひどく驚いていた。
彼が今、声をかけた人物・・・おそらくは彼がわざわざ呼んだ人物に間違いないだろう彼女は、
彼の想像していたそれよりもかなり若かった。幼い、と形容してもいいくらいに。
その少女の年齢は10代半ば、といったところ。旅人なら誰でもしているような格好にそぐわない、かわいらしい顔立ち。
黒瞳が強く店内の弱い光を弾き、輝いている。
「ユーイ様、でございますね。ご注文は?」
確認を兼ねて、訊く。語尾がかすかにはねあがってしまう。
柄にもない…彼は心の中で苦笑をもらした。
彼の動揺に気づいているかどうか、少女の表情からは分からない。
一方で、彼は確信をもっていた。少女が『ユーイ』であることに。見た目は華奢な少女…けれど長年培ってきた彼の勘は、
彼女が『プロ』であることを告げていた。
――すなわち、一流の傭兵であると。
広場にある鐘が涼やかな音を1度響かせた。
「皆様、お集り頂き、ありがとうございました」
午後1時を知らせる鐘を合図にマスターはそう切り出した。
店内には、5人の『客』。
「さて、今回は…」
「その前に、いーですかぁ?」
5人の内の1人、細身の青年が言った。やる気なさ気に机に突っ伏したまま、
先生に質問する生徒のように、右手を軽く挙げている。
暗い店内でも目立つ、赤やら黒やらの派手な色をふんだんに使った服と白っぽい銀色の髪。
どことなく道化を思わせる仕草と、にやけているような灰色の双眸が特徴的だった。
「どしてわざわざ呼んだのさ?仕事ならギルドに依頼すりゃいいことじゃん?」
「確かにその通りでございます。が…」
傭兵――言い換えれば『何でも屋」』ある。世間一般には割りとマイナーな職業だ。
おそらく、一般の人なら一生かかわることはないような…けれど、意外にその需要は高い。
職業ギルドに仕事を依頼すれば、そこに加盟している傭兵のうちから難易度に応じて傭兵を派遣してくれる。
その内容は多岐に渡り、エスコートやガード、あるいは強奪まがいの非合法すれすれのもの、果ては殺人まで。
もちろん、表看板に『殺人承りマス』と掲げているわけではない。
あくまで、裏情報だ。ただし、公然の秘密というやつだが。
余談だが、ギルドに加盟せず傭兵家業を営むことももちろん可能だ。ギルド自体には強制力はない。
仕事を断ったからといって不都合がある訳でもなければ、ギルド加盟者でないからといって不利益がある訳でもない。
ギルドを通す分賃金が若干減るが、個人で仕事を探す手間を考えれば、それとて気になる金額ではない。
仕事を始めたばかりの初心者を除けば、ギルドに加盟しないのは自動的にランク付けされることを嫌ったり、
そもそもその手の集団を好まない『変わり者』だけだった。
一方で雇い主側にしても、ギルド制度はありがたいものだった。
人によるが、傭兵にはあちこち旅しながらそこで出会った仕事をこなす者と、一所で仕事を待つ者がいる。
基本的には前者が多い。
旅する場合においてもパーティを組んで旅する者達もいれば、危険を承知で1人旅する者もいる。
もちろん『その筋』では有名な者もいるが、どこにいるか分からない者も多いので指名はほとんどない。
可能ではあるが、人1人探す手間と費用はかなりものだ。
そこまでして指名にこだわる意味は皆無と言っていいだろう。
ギルドの威信にかけてもへたな傭兵を派遣されることはありえない。もちろん依頼主の情報が漏れることも。
しかし、今回彼らは全員『呼ばれた』のだ。
呼び出したのは10人だったから、今回そろったのは、半数だけだ。それでもかなりよく集まった方と言えた。
マスター自身、2人か3人揃えばいい方だと思っていた。
「それもこれから説明いたします」
きっぱりと、しかし柔和にそう告げられて、青年は素直に引き下がった。
黙って手を下ろし、机に肘をつき、顎を左手と右手で固定する。
「まずは、依頼主ですが。
皆様、おそらく名前くらいはご存知ではないでしょうか…。
ミクトロ=ファルファイディス・ドリトン氏です」
マスターは中央でも有数の商人の名を口にした。
強引な手口と詐欺まがいの手口で巨万の富を築いた、と評判のその商人には、もう1つ有名となる要素があった。
「解せんな」
隅のテーブルを陣取っている2人のうちの1人、
剣士と思しき壮年の男が憮然とした態度を隠そうともしない声で言い放った。
年のころは40近い。白いものが混じり始めた黒髪をきちんとなでつけ、頑強な鎧と紅いマントを身に着けている。
「ミクトロといえば、 強引な商法だけでなくガーディアンズスクールの名誉会長として有名ではないか。
…まぁ、それも金で買い取ったものだろうがな。
屋敷にも優れた警備員を配置していると聞く。とにかく、手駒は十分足りている筈だ」
ガーディアンズスクール、とは要するに用心棒養成所である。
このスクールを卒業した生徒は各地で一流のガーディアンとして活躍している。
厳しい入学試験、度重なる実地試験。
剣技に体術、時には魔術に至るまでの、数々な訓練をパスしたものだけが『ガーディアンズ』の称号を得るのだ。
生命を守るためのありとあらゆる知識を持つ彼らの仕事振りに対する評価は高い。
傭兵とは仕事が重なる部分もあり、ありていに言えば商売敵だ。
男の口調に渋いものが混じっているのはミクトロ氏に対する皮肉だけでなく、
その辺りの感情のせいもあるのかもしれない。
「此度の仕事は、『攻め』です。
ミクトロ氏の元には多くの優秀な戦士がおりますが、
彼らは『守り』の訓練しか受けておりません。
積極的に攻撃を仕掛けるような戦い方に、向いているとはいい難いのです」
説明に鼻を鳴らす男。
さらに言い募ろうとした男を止めたのは、隣に座るもう1人の男だった。
「兄ちゃん。とりあえずさ、話だけでも聞いてみようよ」
口ぶりから察するに壮年の男の弟らしい。兄より優に2回りは大きい、
筋骨隆々の身体に簡略化された鎧、そり上げた頭、やはりごつい造りの顔に不釣合いなつぶらな黒い瞳。
妙に弱気な口調とあいまって、そこはかとなく情けない風情がただよっている。
「……」
弟の説得が効いたのか男は一応、口を閉ざした。しかし口の端を歪めたままである。
感情がそのまま外に出ている男の様子に、マスターは心の中で苦笑した。
人となりとしては好ましいものだが、よくも傭兵稼業な務まるものだ。
この様子では、非合法の仕事など絶対に受けないだろう。
「成功報酬は金貨30枚。仕事内容はあるモノをとりもどすこと、です」
ひゅ、と口笛を鳴らしたのは派手な服の青年。
金貨30枚もあれば一般的な4人家族が1年は遊んで暮らせる。
「破格だな〜。口止め料含むってワケ?」
追求とも、非難とも取れるセリフを曖昧な笑みで受け流すマスター。交渉事には慣れているようだ。
「おっちゃん、なかなかやるね?」
「はて、何のことでしょう?」
人の悪い笑みを浮かべる青年に、やはりボケた返事をかえす。
一方、端のテーブルでは兄弟が何やら言い合っていた。
「兄ちゃん、やっぱいい話だよ」
「余計に怪しいではないか。…悪いが、儂は降りる」
「そんなぁ…」
「うるさい」
「兄ちゃん〜」
「ええい、気色の悪い声出しおって!!だいたい貴様は昔からっ…」
「…おい、まだ何か言いたいみたいだぞ」
少女特有の高く澄んだ、しかし冷めきった声が響く。
冷たい刃と化しそれは、いいかげんいい年したおっさん2人が突然言い争い始め、
あまつさえ、その一方が半泣き、というどう控えめに見ても情けない状況をすっぱり切断した。
「………」
一瞬の静寂。
ユーイに指差されたマスターは1つ咳払いし、話を立て直すべく、再び口を開いた。
「あ、え・・・と。
…皆様のご高名はかねがね伺っております故、どうしても皆様にお願いしたい、
とミクトロ氏からの伝言でございます」
再度の沈黙。――ただし、先ほどのそれとは違う固い緊張を含んだものだった。
意図に反して頬の辺りがひくつく頬を感じながらも、
ようやく戻ってきた、らしい空気に言を重ねる。
「報酬は、依頼の難易度と比例します。…ご存知の通りでございますが」
自信がなければ、降りていい。
言外に匂わした挑戦的なそれに、明確な反応を返したものはいなかった。
――壮年の男でさえ、腕組みをしたままむっつり黙り込んでいる。
――間。
それぞれが考えている気配。
時計の立てる音だけがしばし、響き…
「お受けしますわ。」
それまで押し黙っていた女性があっさり、そう言った。次いで、微笑む。
暗い室内にあってなお、花の咲くような可憐な微笑み。
紫色の長い髪が肩から滑り、白い、神官が着るのような型の服に零れ落ちる。
「やりがいがありそうですもの」
chapter.1