彼は薄く霞んだ眼前に、溜息のひとつでも落としたい気分で一杯だった。
彼――『彼』だからと言って男性という訳ではない。
場所によって、人によって、男性と表現されることも女性と表現されることもある。
こそあど言葉で呼ばれることすらある。
ただ、『それ』扱いでは、何となく座りが悪いので便宜上、『彼』と呼ばれている…ことにしておくが。
ともかく、彼は現在進行形で紛れもなく憂鬱だった。
小さいながらも、影響力のあるヤツとして親しまれ(あるいは嫌悪され)はや幾年月。
正も邪も、白も黒も正直どうでも良いが、まぁ、気にかけてもらえる内が花だろうと悟ってから、やはり幾星霜。
(うむ、言い得て妙だ)
時代は移ろい。人の世は急転直下、言語道断な急展開たる変容を遂げ。
下から見える光の数々は、今となっては随分と少ないはずだ。
存在は変わらずとも、より強い光に紛れて弱い光は消えるが道理。下にある強烈な光に遮られては見えないのも仕方ない。
ただ、どれだけ下が明るかろうが、彼までが紛れることはありえない。
今日も今日とて、彼は一等見やすい場所を悠々自適に進んでいる。
良いのだ。
彼自身が人にどう思われようとも、少々明るすぎて目が眩みそうとも。
彼はただ長い年月をそうしてきたように、世界を傍観できればそれで。
けれど。
彼は溜息を吐きたい気分で一杯になった。
(勿論、この比喩は人間が使うものを拝借しているだけだが。実際、彼には口なるものはない)
彼と遥かなる地上の間には、細かい粒子がびっしりと浮遊している。まったく遮られてはいないものの、非常に見辛い。
しかも目を凝らせば凝らすほど、粒子ばかりが視界に飛び込んできてうっとおしいことこの上ない。
黄砂、と言うそうだ。
風に飛ばされてここ――日本――までやってくる粒子の大群。
暫く(何日になるかは風の気分次第)続く毎年の風物詩…と捉えるにはやや風流に欠ける現象。
いい加減鬱に入るのも疲れてきた彼は、まぁいっか、と視点を転じた。
一息に、真っ暗になる。
控えめながらも空にまで届くのは潮騒。
日本では隠れてしまうような小さな星の光すらも拾い上げて反射させる、揺れる波間。人の営みから、少しだけ外れた地球。
風雅ではあるが面白味は少ないかな、と実に自分勝手に感想をつけた彼はそれでもそこに視線を留めておいた。
辟易するあの砂粒は、一体いつごろまで続くのだろう、と考えを巡らせながら。