the 4th story
広大な土地に敷かれたアスファルト。その中央に建設された、全てが人工の施設。
――いや、一見すればそれは。
数多く植えられた樹木と咲き誇る花々、ふんだんに自然を使ったちょっとした公園の中に、
それでも緑色を取り囲む、汚れたネズミ色の地面。
幾分緩くなったとはいえ、吹きすさぶ空風にはそぐわない華やかな色合いの花弁。
そもそも自然物たる緑色さえ、手をかけ過ぎていて本来そうあるはずの形から外れている。
結局の所、人造物をむりやりに覆い隠しただけの場所であった。
夜中にはそっけない、のっぺりとしたアスファルトをさらしていたその駐車場には、
夜も明けない内から自家用車が次々と乗り入れて来た。
それらは駐車場をクリスマスツリーを飾るかのような気安さでネズミ色を着色している。
赤・青・黄・オレンジ・白・黒・・・園内の花々よりも色が増え、
樹木の種類を全部足したよりも多種になっても、まだ増殖している。
時計の短針が6と7の間を指すまでに、数千台の収容台数を誇る駐車場はほぼ埋まり、
今や早朝の静寂をエンジンのアイドリング音が低く空気を満たしていた。
冷暖房完備。
ラジオやオーディオ、場合によってはテレビがいくらでも退屈を紛らわしてくれる。
少々狭いのが苦になるが、長時間を過ごせないこともない程度に色々と揃っているその中で、
人々は静かに過ごしている。
何しろ、今日は1日かけて騒ぎ、走り、笑い、喚き、場合によっては泣く予定なのだ。
むだな体力は使わないに限る。
それに、東の空がうすらぼんやり赤味がかっただけのこの状態。雲ひとつない濃紺の空が今日の天気を確信させる。
日中はコートが要らなくなるほど暖かくなる、と朝1番の天気予報が告げている。
それでも、現在の気温は外で過ごすにはきつい。
暖められた車内で、仲間、家族、あるいは恋人と今日の予定を話し合う・・・それは、祭の前のように楽しい時間。
女が乗り込んだバスの中も、まさしくその状態だった。
赤くペイントされた長距離移動用の観光バス。
ゆったりと足が伸ばせるだけのスペースと、肘掛の付いた座席はなかなかに快適で、
年齢も性別も様々な人間によって9割以上が埋まっていた。さすがに大声で騒ぐ迷惑な輩はいなかったが、
どこか共通してふわふわと浮ついた雰囲気が漂っている。
そんな中、最前列2人用の座席を独占して女は座っていた。
通路側の席に小さな手荷物を乗せ、窓の向うを向いている。誰かと口をきく様子もない。
丁寧に手入れされているらしい、長い髪の向うの表情は見えない。
押し黙ったまま、窓枠に肘を乗せ、上を向けた掌に顎をのせている。
それはひどく異質だった。
そもそも遊園地というところは一人で楽しめるところとは言い難い。…いや、楽しむことのできるかもしれないが、
彼女にはその姿勢――つまり、楽しもうという意思――が欠けていた。
当然、他の乗客も気にはなっている。彼女の周りだけが異世界のように、暗いのだ。
…が、声をかける人間もいない。
せっかくの楽しい1日。その始まりにケチがつきそうなことはごめんだった。
かくして、実に昨日の夜半過ぎ、彼女がそのバスに乗り込んでからずっと、
彼女は同じ体勢で外を眺め続けているのだった。
正午近く。
スピーカーが喧しく喚き、彩り豊かな風船で飾られた空、
出店が数えられないくらいに立ち並んでいる。時間柄、そこに足を止め覗き込んでいる人も多い。
予報どおりに晴れ渡った空。ふわ、と吹く風が温かみを帯びて春を思わせた。
その風を追い、さざめく波のように人が行き交う。楽しそうな表情、早くも疲れ果てた表情、何かにふて腐れた表情、
時折混ざる哀しそうな表情、顔、顔、顔。
いずれもが少しばかり大げさなものを浮かべ、急ぎ足気味に流れてく。
予報よりもかなり上がった気温を受け、人々は手に手に脱いだ上着を携えている。
軽く汗ばんだ額を拭いている人もいる。
立ち止まり、彼女は園内案内の大看板を見上げていた。
赤いロングコートコート、白いウールの帽子とマフラー、緑色の手袋。
コートのしたから覗く、暖かそうなブーツ。――この陽気には明らかに奇異な出で立ち。
今まさに雪でも降っているかのような格好の彼女に目を留める者も時にはいるが、
大抵は不審気に眉をひそめるくらいだ。
それなりに整った顔とセンスの良い服を見て、
声をかけてくる者たち――主に男性だけで構成された小さなグループ――もいるが
彼女の方が無視して終わった。彼らの口汚い罵りすらも空気のように無視している。
しばしの間その場に立っていた彼女は、ポケットから携帯電話を見た。
サブディスプレィが指す時間は12:55。
それを確認すると、もう一度看板を見上げ、
次に手にしていた若干しわのよった園内パンフレットを見比べ――歩き出した。
その赤いコートが人ごみに紛れた、その瞬間。
「――おーい」
唐突にかけられた声。苦笑いのような響きの、軽い音だ。
呼び止めるニュアンスを確かに持つその声に、女の肩が僅かに反応を見せる。
それは、彼女が初めて見せる反応だった。
次第に鈍り、それでも迷ったように惰性で進む足に、声の主が並び立った。
下に着込んだセーターで着膨れた黒い厚手のジャケットとマフラーという、
これまた真冬の格好の青年だ。今時の青年らしく、茶色の頭、耳朶には銀色のピアス。
暑いのだろう。額と鼻の頭には薄く汗が光っている。
表情は声と同じく小さな子供をあやすような、微苦笑だ。
唐突に、ファンファーレが鳴り響く。
園の中心、大きな円形の池を巡るパレードの出発を告げるものだ。
パレードはこの遊園地の目玉だ。このパレードを楽しみに来園する人も多いと言う。
気がつけば、先ほどまでよりかなり人口密度が減っていた。
「ほら、行くぞ」
右腕を差し出しながら男は言った。
「パレード、見に行くんだろ?」
左手にはパンフレット。
「…怒らない、の?」
装った平静さが見える声で女は答えた。
男は肩をすくめる。
「まぁ、いいじゃん。前ん時は結局見れなかったんだしさ」
存外に軽く言って、男は女の左手を取った。そのまま少しだけ罰が悪そうに視線を泳がせながら歩く。
――沈黙が降りた。
それが言葉を捜すための『間』だと彼は知っているから特に急かしたりはしない。
ただゆっくりと歩きつづける。
急に、右腕に感じる抵抗が大きくなった。
幾分大きく聞こえるようになった音楽の中で、立ち止まった女は呟く。
「手紙…」
「なに?」
聞こえない、と穏やかに促す。
「手紙、見た…?」
「見てなかったらココにいないな」
「怒らない、の?」
同じ質問を繰り返す彼女は、彼の顔を見ていない。怖くてたまらない、というようにうつむいたままだ。
「怒ってる」
びく、と肩を震わせて彼女は思わず彼の顔を見た。
そこには、悪戯が成功した子供の顔。
「…っていうか感心してる。やっぱお前、おもしろいよ」
「…?」
「意地っ張りもここまでいけば立派だ、ってこと」
「なによ!」
「あー、でもさ。手紙はもちょっと分かりやすく書いてくれ。
『12/24。じゃなきゃ別れる』だけでココにだどりついた俺を誉めてくれよ。
しかもこの格好で。」
いくらなんでも暑いだろ、おどけながらと自分のマフラーを引っ張ってみせる。
――再び、沈黙。
今度は男が女を引っ張った。
「ほら、行こうぜ。終わっちまう」
「……」
くすり、と微笑んで。
ぽん、と頭に手を乗せて。
「今度はケンカなしでな」
つられてぎこちなく微笑む女に、満足して笑いかけながら。
まだ硬い表情の彼女のそれをどうにかするべく、言い募る。
「2ヶ月ぶりのデートなんだからさ……えーと…その。……笑ってくれって」
言った後に、自分の言葉の気恥ずかしさに耐えかねた彼が悶えるのを見て、彼女は笑った。
「うん。…デートの続き、しよっか」
「おう」
赤いコートが黒いジャケットに寄り添う。
「…ごめんね。もうしない」
「してもいいんじゃね?おもしろいから」
「なんですってぇ」
「ってかさ、セーター脱いでいい?あちーよ、いくらなんでも」
「だめ。怒ってくれなかった、罰」
「…今日のはお前が正しいよ。
なんにせよ行動を起こしたのはお前で、俺はそれに乗っかっただけ」
「どういう意味?」
「お前がこうでもしなきゃ、俺からはなにもできなかったってこと」
「セーター脱いでもいいよ」
「さんきゅ」
「パレードの後でね」
「う"・・・早く行こうぜ。マジで終わっちまう。」
「なぁ、1人でなに乗ってたんだ?」
「・・・前と同じ」
「全く?」
「うん」
「ぴったり2ヵ月後、前と同じ格好、同じアトラクション?
ッ…く…あはははっ。やっぱお前って最高!!なにしだすか全く予想つかねーよ」
「あのさ・・・悪いけど、私にはあんたの方が、理解不能よ」